父より1つ年上の母の偉業は、なんと言っても
3年前に、見事
『老々介護をやり遂げた』
こと でしょう。
母の引き出しの整理をしていたら、朝のバイタルサインの測定値を記入したカレンダーが出てきました。
心臓性浮腫の管理には、
体重がだいじで、増えた朝は 赤く線が引いてありました。
体格の良い父を、か細い体で よく介護できたものです。
このカレンダーは、
父と母の最期の日々、
2人の長い歴史の完結編であり、
母の偉業を讃える『表彰状』
として、大事に引き出しに
戻しました。
亡くなる1週間前に、房総から病院に駆けつけると、
酸素チューブの病床の父は、
携帯電話で動画を撮るよう
手振りをしました。
呼吸の苦しいなか精一杯のかすれ声で スマホの先の母に語りかけます
「 おばあちゃん …
91歳の誕生日
おめでとう
これから ますます
長生きして …
ますます 元気で
いてください…
ますます… 元気で
いて ください…
ありがとう
ありがとう… 」
そして、私の耳打ちに
瞳を丸くして驚きながらも
追伸してくれました
「 愛してます…
愛してます
ありがとう
ありがとう… 」
父が人生で初めて口にした
『愛してます』
聴かせた母は その晩
「 初めて聴いた…
おじいちゃん
死んでしまうの…? 」
と 泣いていました
父から母への 最初で最後、
人生最大の誕生日プレゼント
とても 尊い
『愛してます』
でした