双方のため③

卓球のリクエストで、子供の頃からあるボーリング場の卓球コーナーに行きました。
 
運転できるようになって、
良かった… 

母は、なん十年ぶりでしょう…
私は、ほぼ2年ぶり…

2人とも 最初は、なかなか続かなかったけど… 

楽しくって、楽しくって
延長、延長で、なんと!
2時間ぶっ通し
久々にいい汗かきました☺️

 

サーブも変化球を打ってきたりして… 回転がかかって返せなくて 
卓球でも、母の方が 上手かった。

昔取った杵柄 女学校の一年生の時、卓球部だったらしい… 

「女学校1年って 何歳?」

その答えは… 
6年の後、4年女学校があって、その後1年師範学校に入り、教師の試験を受けて教師になった… 

商店を営む忙しい母親が、
毎朝3時起きして釜戸の火でご飯を炊いて 
汽車に乗り学校に通う自分の為に お弁当を作って持たせてくれたのだ…
 と話が続いた。

教師になったばかりで、日本は戦争という悲惨な時代に入った… 
 男は戦争に行き、残るは女だけの不安な中を
 まだ18歳の母は、子供たちを守りながら授業をし、 毎日 竹槍訓練もした…  
今日の食べ物もない… 
 そんな、青春時代を過ごさざるを得なかった。 

たった一世代前のお話で、
今まさに隣国では 現在進行形のこと… 

私たちの今の幸せな生活は、父母の世代の大きな犠牲によって、与えられた恩恵なのです。 
幸せなラストフライトにしてあげたい…と、心から思います。 
これからの私のお役目だと
思います。
 

昔の記憶は、『長期記憶』といい しっかり残っていて、今さっきのことは、
『短期記憶』といい残りにくいらしい… 
  
非常なる戸惑いながら、
長寿であれば、それは、誰もがそうなる宿命なのです… 


なるべく いい記憶だけ 
ずっと、残して
持って逝ってほしい…   
そう願います